Exhibition " 隣り合う片腕 / The traced line "
 
 
 

 

 
 
 
 
 
" 隣り合う片腕 / The traced line "
 
大塚 聡|Satoshi OTSUKA、川越健太|Kenta KAWAGOE、杢谷圭章|Yoshiaki MOKUTANI
遊工房アートスペース
2020年11月3日(火・祝)- 11月29日(日)
 
杉並区新しい芸術鑑賞様式助成事業事

ALABORAは本展を契機として、大塚聡、川越健太、杢谷圭章によって、作品展示をはじめ様々な媒体での発表や、それぞれの制作過程における関心を共有し、実験的な試みをおこなうため、2020年に結成されました。各作家はこれまで、既存の枠組みにとらわれることのない独自の活動を続けてきました。本展はそのような活動に抽象的な輪郭を与えることを試みるものです。大塚はガラスや鏡などの透過/反射する性質を持った素材を扱いながら、写真や映像においても同様の性質を見出し、私たちの視線、あるいはその先にある風景が拡張性を獲得していくような表現を実践しています。また、川越は写真や絵画に潜在する構造に関心を寄せ、そこから引き出される要素を造形的な操作のための手がかりとして捉え直し、写真を断片性から複数性へと接合/統合していくための形態を探求しています。版画の特質を活用する杢谷は、眼前に広がる光景を構成する要素を解きほぐしながら、色彩や線といった基本的な造形要素に還元することで、見ることの経験を抽出してみせています。それぞれの素材に対するアプローチや用いられる技術の固有性を抽象化すれば、そこには単位性あるいはモジュール性とでも呼ぶべき要素と、それらを打ち消そうとするモメントが拮抗していることが見てとれます。またそうした要素を作品内において規律的に、あるいは可逆的な読解性を担保させたまま操作するために、メディウムの特性を利用しながら、ある論理的な場を立ち上げようとしている点も共通していると言えるかもしれません。 
本展では、それぞれに作品を成立させる条件は異なりながらも、作品を支える方法への意識が三作家に共通した問題として現れる時間を、実際の展示空間で経験することができるでしょう。

 
 
 
 
隣り合う片腕/The traced line


 

大塚 聡|Satoshi OTSUKA
川越健太|Kenta KAWAGOE
杢谷圭章|Yoshiaki MOKUTANI
 
遊工房アートスペース
2020年11月3日(火・祝)- 11月29(日)
 

杉並区新しい芸術鑑賞様式助成事業事

 
遊工房アートスペース:アクセス

JR中央線、西荻窪駅北口、2番バス停より上石神井駅行他バスにて「善福寺」バス停下車、目の前。駅より徒歩約20分。または、東京メトロ丸の内線・JR荻窪駅北口・0番バス停より武蔵関駅行他バスにて「善福寺」バス停下車、すぐ。 
 

ALABORAは本展を契機として、大塚聡、川越健太、杢谷圭章によって、作品展示をはじめ様々な媒体での発表や、それぞれの制作過程における関心を共有し、実験的な試みをおこなうため、2020年に結成されました。各作家はこれまで、既存の枠組みにとらわれることのない独自の活動を続けてきました。本展はそのような活動に抽象的な輪郭を与えることを試みるものです。大塚はガラスや鏡などの透過/反射する性質を持った素材を扱いながら、写真や映像においても同様の性質を見出し、私たちの視線、あるいはその先にある風景が拡張性を獲得していくような表現を実践しています。また、川越は写真や絵画に潜在する構造に関心を寄せ、そこから引き出される要素を造形的な操作のための手がかりとして捉え直し、写真を断片性から複数性へと接合/統合していくための形態を探求しています。版画の特質を活用する杢谷は、眼前に広がる光景を構成する要素を解きほぐしながら、色彩や線といった基本的な造形要素に還元することで、見ることの経験を抽出してみせています。それぞれの素材に対するアプローチや用いられる技術の固有性を抽象化すれば、そこには単位性あるいはモジュール性とでも呼ぶべき要素と、それらを打ち消そうとするモメントが拮抗していることが見てとれます。またそうした要素を作品内において規律的に、あるいは可逆的な読解性を担保させたまま操作するために、メディウムの特性を利用しながら、ある論理的な場を立ち上げようとしている点も共通していると言えるかもしれません。 
本展では、それぞれに作品を成立させる条件は異なりながらも、作品を支える方法への意識が三作家に共通した問題として現れる時間を、実際の展示空間で経験することができるでしょう。

 

 
 
隣り合う片腕/The traced line
 
クワトロチェントと呼ばれる15世紀イタリアでは、ブラッチオ(braccio)という長さの単位が用いられていた。ブラッチオは「腕」を意味するイタリア語で、
この単位は文字通り「腕」の長さを基準としていたためか、例えばフレンツェでは 58.3cm、ローマでは78.06cmなど、その長さは用いられる都市ごとに異なっていたという(あるいは肩から手首まで、肩から指先までというように、地域ごとの測定範囲に揺らぎがあったのかもしれない)。 ピエロ・デッラ・フランチェスカは、画面内に厳密な比率関係と幾何学的遠近法を適用した初期の画家として知られているが、彼が用いた単位がこのブラッチオであった(fig.1)。ピエロの絵画における画面設計と描き込まれた奥行きは、ブラッチオ、つまり「腕」の長さの等倍あるいは等分割の比率によって覆われていたのである(*1)。
 
私たちが日常的に用いる長さを測定する単位としてメートル(metre)法が採用されている。この単位系が 考案された17世紀には、2秒の間隔を刻む振り子の長さを基準とし、以降流通の過程において厳密さが要求され、測定環境における不確実性を退けるため、現在では光が真空中を伝わる長さとして定義されている (*2)。また、メートル法が現在の定義となる途上で、単位の定量性を保存するため「アルシーヴ原器」あるいは「メートル原器」が製造された。それはいわば「定規のための定規」で、18世紀から 19世紀にかけて考案 された子午線による定義を白金(あるいはイリジウムとの合金)によって鋳造し、実体化したものである。 マルセル・デュシャンに《三つの停止原器》(3 Standard Stoppages, 1913-14)という作品がある(fig.2)。これは、1メートルの長さの3本の縫い糸を、同じく1メートルの高さからカンバスの上に落とし、このとき描かれた曲線をニスで固定し、木型に写し取ったものと言われている( * 3 )。デュシャンは《三つの停止原器》による曲線を、《大ガラス》をはじめとしたいくつかの作品に用いていた。
 
このように見てみれば、単位とは何らかの実在する対象を写し取ったものであることがわかる。一定の長さを便宜的に計測可能な数的幅として理解し、それを(最小)基準として設定することが、単位の根本的な原理である。その意味において、単位としての条件は「縫い糸」でも充分に満たされている。単位が単位としての実在性を獲得する条件はその運用にこそある。単位を設定することと、その単位を運用することとは鏡合わせの関係にあり、単位はそれが使われること=複製されることによってのみ単位とすることができるのである(反対にそれを使うためには基準を設定する必要がある)。もし私たちがデュシャンの停止原器を手に入れることができれば、当然ながらそれを使い、世界を測定=複製することができる。 また一方で、このとき写し取られた長さを、写し取る対象が抽象化されたものと考えることができるかもしれない。定規で引かれた線は、定規の性質を保存はしているが、しかしそれは定規ではない。同じようにブラッチオであればそれを用いることとは「腕」を想起すること、またその腕に隣り合うものを置くこと、あるいは右腕の隣に不在の左腕を描くことに他ならない。単位とはその起源となる身体や物、あるいは現象と、他なるものとの輪郭を作り出す力の境界、そのことの原器なのではないか。
 
作品とは、ちょうどピエロやデュシャンがしたように、ある単位を適用させることによって積層と拡張を 繰り返しながら作り出される場である。しかし、それは必ずしもメートルのように広く流布された公共的単位によって統べられるのではない。それは、ある単位定義を別の単位定義に依存させながら、複数(少なくとも二つ以上)の単位原器を考案し、それぞれの仕方によって適用させていくことで導き出される、異なる力が干渉し重なり合う断面であり輪郭である。原器が保存するモメントが作り出す凹凸と不一致。それらをどのようにして、ひとつの場に治めることができるだろうか。私たちは、何かを作ることによって世界を複製し、その不連続で不均一な原器のなかから、有り得べき、隣り合う片腕を探すのである。
 
 
(*1) 「岩波 世界の美術 ピエロ・デッラ・フランチェスカ」|M・A・レーヴィン著/諸川春樹訳|岩波書店|2004|p.101
(*2) Wikipediaより|https://ja.wikipedia.org/wiki/メートル
(*3) 「マルセル・デュシャン全著作」|ミシェル・サヌイエ編/北山研二訳|未知谷|1995|p.333
デュシャンは子午線による定義を基に制作されたメートル原器に含まれる恣意性、あるいは単位という概念のレディメイド性に着目してこの作品を制作したのではないだろうか。なお、1796年から97年にかけて制作されたメートル原器は、メートル単位を啓蒙するためにパリ市中16箇所に設置され、現在でもそのうちの2箇所が残っている。その実物をデュシャンが見ていたであろうことは想像に難くない。
 

 
fig.1|ピエロ・デッラ・フランチェスカ|《キリストの洗礼》|1455年頃|ロンドン・ナショナル・ギャラリー
fig.2|マルセル・デュシャン|《三つの停止原器》|1913-14年|ニューヨーク近代美術館

 
隣り合う片腕
 
クワトロチェントと呼ばれる15世紀イタリアでは、ブラッチオ(braccio)という長さの単位が用いられていた。ブラッチオは「腕」を意味するイタリア語で、この単位は文字通り「腕」の長さを基準としていたためか、例えばフレンツェでは 58.3cm、ローマでは 78.06cm など、その長さは用いられる都市ごとに異なっていたという(あるいは肩から手首まで、肩から指先までというように、地域ごとの測定範囲に揺らぎがあったのかもしれない)。 ピエロ・デッラ・フランチェスカは、画面内に厳密な比率関係と幾何学的遠近法を適用した初期の画家として知られているが、彼が用いた単位がこのブラッチオであった(fig.1)。ピエロの絵画における画面設計と描き込まれた奥行きは、ブラッチオ、つまり「腕」の長さの等倍あるいは等分割の比率によって覆われていたのである(*1)。
 
私たちが日常的に用いる長さを測定する単位としてメートル(metre)法が採用されている。この単位系が考案された 17世紀には、2秒の間隔を刻む振り子の長さを基準とし、以降流通の過程において厳密さが要求され、測定環境における不確実性を退けるため、現在では光が真空中を伝わる長さとして定義されている (*2)。また、メートル法が現在の定義となる途上で、単位の定量性を保存するため「アルシーヴ原器」あるいは「メートル原器」が製造された。それはいわば「定規のための定規」で、18世紀から19世紀にかけて考案 された子午線による定義を白金(あるいはイリジウムとの合金)によって鋳造し、実体化したものである。 マルセル・デュシャンに《三つの停止原器》(3 Standard Stoppages, 1913-14)という作品がある(fig.2)。これは、1メートルの長さの3本の縫い糸を、同じく1メートルの高さからカンバスの上に落とし、このとき描かれた曲線をニスで固定し、木型に写し取ったものと言われている ( * 3 ) 。 デュシャンは《三つの停止原器》による曲線を、《大ガラス》をはじめとしたいくつかの作品に用いていた。
 
このように見てみれば、単位とは何らかの実在する対象を写し取ったものであることがわかる。一定の長さを便宜的に計測可能な数的幅として理解し、それを(最小)基準として設定することが、単位の根本的な原理である。その意味において、単位としての条件は「縫い糸」でも充分に満たされている。単位が単位としての実在性を獲得する条件はその運用にこそある。単位を設定することと、その単位を運用することとは鏡合わせの関係にあり、単位はそれが使われること=複製されることによってのみ単位とすることができるのである(反対にそれを使うためには基準を設定する必要がある)。もし私たちがデュシャンの停止原器を手に入れることができれば、当然ながらそれを使い、世界を測定=複製することができる。 また一方で、このとき写し取られた長さを、写し取る対象が抽象化されたものと考えることができるかもしれない。定規で引かれた線は、定規の性質を保存はしているが、しかしそれは定規ではない。同じようにブラッチオであればそれを用いることとは「腕」を想起すること、またその腕に隣り合うものを置くこと、あるいは右腕の隣に不在の左腕を描くことに他ならない。単位とはその起源となる身体や物、あるい は現象と、他なるものとの輪郭を作り出す力の境界、そのことの原器なのではないか。
 
作品とは、ちょうどピエロやデュシャンがしたように、ある単位を適用させることによって積層と拡張を繰り返しながら作り出される場である。しかし、それは必ずしもメートルのように広く流布された公共的単位によって統べられるのではない。それは、ある単位定義を別の単位定義に依存させながら、複数(少なくとも二つ以上)の単位原器を考案し、それぞれの仕方によって適用させていくことで導き出される、異な る力が干渉し重なり合う断面であり輪郭である。原器が保存するモメントが作り出す凹凸と不一致。それらをどのようにして、ひとつの場に治めることができるだろうか。私たちは、何かを作ることによって世界を複製し、その不連続で不均一な原器のなかから、有り得べき、隣り合う片腕を探すのである。
 
 
(*1) 「岩波 世界の美術 ピエロ・デッラ・フランチェスカ」|M・A・レーヴィン著/諸川春樹訳|岩波書店|2004|p.101
(*2) Wikipediaより|https://ja.wikipedia.org/wiki/メートル
(*3) 「マルセル・デュシャン全著作」|ミシェル・サヌイエ編/北山研二訳|未知谷|1995|p.333
デュシャンは子午線による定義を基に制作されたメートル原器に含まれる恣意性、あるいは単位という概念のレディメイド性に着目してこの作品を制作したのではないだろうか。なお、1796年から97年にかけて制作されたメートル原器は、メートル単位を啓蒙するためにパリ市中16箇所に設置され、現在でもそのうちの2箇所が残っている。その実物をデュシャンが見ていたであろうことは想像に難くない。
 

fig.1
ピエロ・デッラ・フランチェスカ
《キリストの洗礼》
1455年頃
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
fig.2
マルセル・デュシャン
《三つの停止原器》
1913-14年
ニューヨーク近代美術館

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
Installation view


 
 
 
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